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2008年4月 8日 (火)

はじまりの春

「は」は古には「Fa」と発音したといいます。「ハル〔春〕」「ハル〔張る〕」「ハジメル」「ハナス〔放す〕」「ハク〔吐〕」強い息の音。

さて、始まりの春です。強い息を吐き、はじけ飛ばす、始まりの春です。文房具を整理し、不足分を補充し、書棚を整理し、やりかけの仕事を確認しながら日々が過ぎます。毎日、片付けばかり。

それでよいのかもしれません。

始まりの春。

そして、始末の春。

43年前、中学を卒業して、街中の高等学校に入学しました。中学3年の一年間、試験の度に隣同士になった少年が、「受験参考書の類は全部焼却する」というので、つられて、学校の指定問題集9科目分を家の前の空き地で炎にしました。紙くずはシュレッダーにかけずに火にくべる、そんな時代でした。

高等学校に入るか入らぬ内に、新しい受験参考書兼問題集が2冊渡されました。英語と数学。あれあれ。別れを告げたはずのものとの再会。英語と数学。しかし、高校時代に遭遇したのはもっと別のものでした。

終わりと始まり。

そして、繰り返し。そして、新しいはじまり。

40年前、高校を卒業して大学に入学しました。高校2年のときには卒業式は大荒れに荒れました。トイレットペーパーが紙テープのごとく舞い、そこそこに会場となった体育館兼講堂から下級生は退散することになりました。予餞会というものもあり、当時活動していた「歌う会」のリーダーが出てきて「つたのからまるチャペールで・・・」というのを指揮して歌わせました。そのあと、後に別の高校の校長先生になった国語の先生が登壇して、「なんという歌をうたうのか、チャペルとはなんだ。軽薄もはなはだしい」と怒りを露にしました。当時流行していたその歌をテレビジョンの画面の中で歌っていた歌手の声も、その歌もあまり好きではなく、深尾須磨子作詞、中田喜直作曲の校歌の方がはるかに優雅であると思ってはいましたが、全校生徒参加の予餞会の席で、そこまで言うのかと唖然としました。何かにつけて対立の中にすべてがあるという時代だったのです。

40年前の入学式は丘のうえの講堂でありました。学長の話はとても短かったということしか憶えていません。東京大学の入学式で太った豚になるより痩せたソクラテスになれというメッセージが発せられたのが新聞紙上で話題になっていたころでした。男声合唱団の面々が登壇して、歓迎の歌を歌いました。短い式はあっけなく終わり、その後は何もありませんでした。

昔は教養部というものがあり、全学部の1年と2年の学生がキャンパスの片隅の狭い空間にひしめいて新学期を迎えました。語学と人文・社会・自然の3領域の教養科目を学習するのが2年間の中心課題でした。遠い昔の旧制高校の名残でしょう。語学の時間が週の半分ほどを占めて、そのために語学中心の学部を超えたクラス編成がされていました。50人ほどの単位で第二外国語、授業を受けます。第二外国語はフランス語、このフランス語の担当が中川久定と言う小柄でまだ少年のような面立ちの先生でした。中川先生はその後京都大学に移られ、しかし、おそらくこの時代の指導制の因縁で、河合塾がつくっている研究所に関わることになりました。

当時、指導教官制度というのがあり、これは、新入生の方が希望する先生に指導を頼みに行くというようになっていました。学内新聞のエッセイを読んで、川崎寿彦という英語の担当の先生に頼みに行きました。しかし話らしい話をしないうちに、呼び出しがあり、イギリスにいくことになったので、ついては指導教官を変えるということでした。結局、話をしたのはこの2回。川崎先生はその後帰国してから文学部の方に移り、しかし、早くになくなられました。私の方からも依頼するから、どの先生がよいか候補を挙げなさい、ということで梅津済美先生に引き受けていただきました。指導教官の役割は「成績表」を渡すことでした。年に2回、先生の研究室にでかけ、渡された成績表を間に面談するのです。梅津先生はイギリスの作家ウィリアム・ブレイクの研究者で、書棚からあれこれ絵入りの本を出して見せてくださいました。2年間に1度だけ指導生の会というのがありました。上級生が企画して街中のビール会社の直営店の個室をとり、20人ほどが集まりました。梅津先生が戦後まもなく、一旦仕事についてから、アメリカに留学した当時の話をされました。1ドル360円の時代、乏しい物資を集めて支度をし、2人一部屋の学生寮で生活したこと、英語と日本語のことなど。あとは、ひとりひとりの自己紹介をしました。同じ学部の1年上の学年のマツモトさん、同じ1年生で医学進学課程のミヤコさん、ひととおり自己紹介が終ると席の近いミヤコさんと話をしました。この指導生の会の記憶がその後続かないのは、多分、その後学内は大学紛争でそれどころではなくなっていったからでしょう。

振り返ってみて驚くのは新入生コカゲの単独行動。

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コメント

私は、教養部のとき、梅津先生に指導教官になっていただき、大きな影響を受けた一人です。

投稿: 本庄眞 | 2008年5月 7日 (水) 23時15分

75年頃、私も梅津先生の授業やお話に、少なからず影響を受けた一人です。先生の現況をご存じでしたら教えてください。

投稿: 岩間 | 2009年3月 8日 (日) 06時46分

開店休業中のブログにおいでくださりありがとうございます。
梅津先生はすでに鬼籍に入られたこと、新聞の小さな記事で拝見しました。もうずいぶん前のことになります。
当時の先生方の年齢を超えつつある今が、不思議にも思われます。

投稿: 木陰 | 2009年3月 8日 (日) 16時32分

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