学生生活

2017年8月16日 (水)

授業の記憶

別室「こころの交差点:木陰の補習教室」に掲載した「授業の記憶」シリーズです。すこしずつ。

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2017年8月 4日 (金)

作業と思考をつなぎ止めるしかけ:卒業研究に取り組む2

 少し前、大粒真珠のネックレスと白衣で研究プロジェクトの記者会見に臨んだ若い女の人がいました。その後、その人と周辺の人々は大混乱の中に巻き込まれました。電子メールのやり取り、論文の修正、実験データや画像の差し替え。さまざまな問題が疑惑となって噴出したのです。インターネットでやり取りをする。ウェブ上で論文をまとめる。このような仕事の進め方が当たり前となって、手元で着実に作業を進め、それを蓄積していくという空間を区切り、時間の系列を整理した仕事の仕方が忘れられていきつつあるように感じます。問題が起きた時にも、実験ノートの開示が求められていましたが、けっきょく、はっきりしないままでした。

 日常の学生生活においても、考えるための手がかりとして、課題(例えば学科目)ごとにノートを用意し配布された資料も、関連して取り寄せた情報も、そして、講義中のノートも順に書き留め、整理していけば、学生生活はもっと前進するはず。
 

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2017年8月 3日 (木)

考えるみちすじと形:卒業研究に取り組む1

 大学生活4年目に「卒業研究」にとりくむ。

 現在では5月中旬に第1回の中間発表、9月下旬に第2回の中間発表、そして、12月中旬に提出。そして、2月に学科内発表会。
 研究とか論文という慣れない課題にどう取り組むか、途方に暮れる。
 「まず、あなたが関心を持った事柄に就いて扱った研究を読んでみましょう」と勧められる。しかし、その研究は「鉄壁の牙城」に見える。「これをなすこといかん」「とうやったらいいの?」
 これまでそうしてきたとおり、「正しいこたえ」「正しいかたち」を求めて完成された姿を想像する。最後の提出論文、あるいは研究冊子、そして第1回、第2回の中間発表。そして、最後の発表会。
 このひとつひとつの節目にたどりつき、乗り越えていく道筋は、なかなかつかみがたい。そのひとつひとつの節目の「形」にどうたどり着くか、掴めない。それぞれが正しい形を持っているとしたら、それを早く手にしたい。
 でもね。出来上がる形はひとりひとりの課題によって違うからね。どのみちをたどって、どこまでたどり着くかは、ひとりひとりちがうのだから。
 同じような問題に関心を持った人々がどのように考えたか、その道筋をたどり、その相手と、議論をする(疑問を投げかけ、答えを考える)ことで、ぼんやりしていた形が少しずつ、浮かび上がってくる、そんな可能性を信じよう。途中でたとえ、「わけわかんない」、「迷路にはまった」と感じることがあっても。
 このことを考えるために、どのような実験をしているか、再現してみることで道筋とその先の形が見えてくることもある。集団効力感についての実験を身近なところで仮想的に組み立ててみること、仮説実験授業で用いた課題を目の前で再現してみること。結婚観や離婚観についての調査を、その調査項目にさかのぼって丁寧にみていくこと。
 この実験がどのような考え方によって組み立てられているのか、その背景をたどることで、問題がよりはっきりしてくることもある。集団効力感という概念の出発点となった自己効力感という概念、そしてその考え方を提案したBANDURAという人、そしてその人の考え方の道筋。板倉聖宣という人、三宅なほみという人、それぞれの人が行った実験や実験的授業とそれぞれの考え方の発展の筋道。そして、これはなかなか難しいけれど、結婚観や離婚観についての研究が多岐にわたり、それぞれが異なる考え方の筋道をもっていることに気づき、そのうちのいずれかについて、辿ってみること。
 このような過程を、ひとつひとつ、ファイルにまとめ、ノートに日誌としてとどめ、まとめていくこと。
 迷い道のひとつひとつも、とりあえずは消さないまま、残しておくこと。
 焦らず、一つ一つ。
 
 

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2017年6月19日 (月)

こどもと学ぶ

教育実習期間も今週末で終わる。

一単元、あるいはそのうちの1時間、2時間、責任を持って担当する機会も増える。
なんとかやり遂げた、いやいやまだまだ、・・・
自信と不安の間で毎日が過ぎることと思う。
例えば4年生の社会。事故に対応する人々。
教科書を使い、その画像を電子黒板に映しだし、こどもと応答しながら進める。
順調に。
しかし、全国どこでもあてはまり、どこのものでもない、何時にも当てはまり、何時のものでもない教科書の事故の事例。今、ここの小学生が出会う事故ではどうだろう。たとえば山間の小学校で下校途中に熊が出た。その時、どこに連絡し、助けを求めるのか。自分のことではなくとも、昨日、おととい、記憶に新しい直近の事故の場合、人々はどうしたのか。新聞の記事を集めてみるのもよい。さまざまな場合への疑似体験をとおして、とっさの場合に適切に振る舞える力をつけることができたら。
そんなことを考えて、準備をするのもよいのではないか。

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心の余裕をなくす時

夏至間近。

4月からの疲れが積み重なって、ちょっとしたことが受け入れがたくなる時。
列車に乗ろうとして立ちふさがる人に心波立つ。
食事に入った店で配慮無く笑い声をたてる若い人にため息をつく。
少し、心を緩めなければ。
頑張り心と身体を硬くしてしまわないように。

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2016年8月29日 (月)

夏を凌ぐ

 先日の中日新聞に「夏の疲れが秋になって出るので気をつけるように」という記事を見つけた。原因として想定されているものは様々で、実際のところどうしたらよいのか、判断に迷うのだけれど。

 処暑という言葉がある。国語辞典を見ると立秋と白露の中間、旧暦の7月中旬とある。おそらく、季節は今頃。とにかく、暑さを凌いでたどり着いた季節。まだまだ暑い。本格的な秋へ向けて備える。
 もう50年近くも前、大学生の姉がこどもの野外活動にボランティア活動として参加していたことがある。その数年間、姉は毎年梅雨のころから立秋過ぎまで、泊まり込みで島に出かけては大量の洗濯物を抱えてもどるという生活を続けていた。よほど疲れるらしく、中休みの時期は週日家で寝ていた。そして、夏の終わりまでも。
 処暑という言葉は、いつも、この時期の姉の姿と重なって思い浮かぶ。
 夏をどう凌ぐか。
  そのころは信州の高原で土地の人々が「学生村」という安価な民宿を提供していて、涼しい土地で過ごす大学生や高校生について、新聞で紹介されていたこともあった。まだ、大企業が観光開発と称して高原地帯を嘗め尽くすようになるより少し前のことである。しかし、高校生の頃、堀辰雄の作品などを通してかいま見た「高原の夏」は、たとえそれが人々の暮らしの陰影に満ちていたとしても、手の届かない社会階層の人々の世界だった。「風立ちぬ」という宮崎駿のアニメ作品の中では、軽井沢で夏を過ごす人々が描かれたが、その人々は経済的にも、社会的にも恵まれた人々に限られていただろう。
 こどもの頃も今も、夏はとにかく乗り切ることで精一杯である。狭い家を逃れて教室の窓を開け放って本を読んだ夏、温度管理の施された公立図書館の限られた机を求めて並んだ夏、歩みのもどかしい我が身としては、出来る限りこの時期に先へと進みたいのだけれど。
 

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2016年2月28日 (日)

世界を広げる

ここにはない出来事、ここにはない考え方、ここにはない関係・・・

AKIRAでも、エヴァンゲリオンでも、グリムでも、慣れ親しんだ世界から飛び出してみる。
たくさん読むこと、読んだものを再構成すること。
世界を発見すること。

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2015年9月26日 (土)

前期をふりかえって

 第2学年 「こどもと言語Ⅰ」を多くの方が受講して下さいました。今年度は新しい試みとして、グループ学習方式を導入しました。厳密に言えば講義というより演習に近いですね。慣れない方式で、戸惑いを感じた人も少なくなかったようです。最後に振り返ってみていただいたところでは、「自分のペースに合わせて進められてよかった」「よく理解できた」「グループの仲間に助けられた」とこの進め方の特色を生かしてくれた参加者の声も多く聞くことができました。昨年度は同じ教科書を扱いながら「最後まで進めなかった」という不満もありましたが、今年度は予定通り進めて、最終章まで到達することが出来ましたね。担当者としては70名を越える受講者をグループ編成すること、グループに合わせた課題を毎回準備するためにたくさんの時間を使いました。授業時間にはそれぞれのグループをまわって質問に応じたり、助言をしたりしました。教科書は言語獲得に関する心理学研究を扱った専門的なものでした。皆さんの感想・意見は様々でしたが、例年に比べると(一人一人の到達点はさまざまであるにしても)よく勉強できたように思います。今後必要に応じて読み直し、さまざまに利用していただければと思います。共同学習の方法についてはまた、これからも、いろいろ工夫して見てくれるよう期待しています。

 第3学年 は保育・幼児教育・初等教育コースの皆さんに保育指導法(人間関係)を履修していただきました。幼児教育のための演習科目です。例年、1ヶ月間の小学校実習に出かける4年生も同時に履修するということで、進行方法に苦慮する科目です。今年度は受講生が多いので2つのクラスに分かれましたが、受講生数にも受講者の構成にも偏りがあり、進行が難しいクラスもありましたね。「人間関係」の演習ですから、この特質を生かすような実践的「学び」も、この集団の中で構成できたのかもしれないと思いますが、今年度はうまく運びませんでした。目標としたなかで、うまくつたわっていなかったかなと思われる点は、幼児教育や教育を「知識や価値観の注入」ではなく、こどもが活動する中で行動の仕方を獲得していくという視点から構成するという方法です。ドイツの小学校のクラスで、こどもたちが個別のワークブックを持ち、それぞれのペースで時間内の課題を設定し、目標地点の近い仲間と共同で取り組む様子を見てきました。日本国内でも、そのような学習様式をとっていることろもあることと思います。教師はそこでは何も教えていないように見えるかもしれません。教師か一体どのような働きをしているのか。それが見えてくるようになれば、皆さんの幼稚園や小学校での教師としての立ち位置もわかってくるのではないでしょうか。
 第4学年では「遊びの研究Ⅲ(プレイセラビー)」を開講しました。認知発達と社会情動的な発達の2つの側面から遊びを理論的に見直し、「認知的な遊び」と「社会情動的な遊び」に取り組み、実践的に遊びの捉え方を理解するという盛りだくさんな内容でした。英文の文献を読みこなすことにも取り組んでいただきました。社会情動的な遊びについては受講者全員が参加できるように「コラージュ法」を行いました。「箱庭」をやってみたいという希望もありましたが、一台しかない箱庭では、機会が限られてしまうので今回は期待に沿えませんでした。

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2015年8月18日 (火)

夏の終わり

8月も秋風が立つようになると、4年生は就職のこと、卒業研究のこと、心配事で心細い毎日が始まってきますね。一ヶ月後は卒業研究の中間発表会。進んでいますか。

さて、1年生、2年生、3年生も前期の成績を確かめて下さい。こども学概論Ⅰ、こどもと言語Ⅰ、保育指導法人間関係、遊びの研究Ⅲ、「不合格」の場合もあります。
そのままにしておかないように。
さて、当ブログ管理人は10日ほど遠方へ出かけます。9月に入ったらお会いしましょう。

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2015年4月 2日 (木)

桜の散歩道

学園の丘とその南側の調整池の周囲では桜が満開です。

丘の上の教室から見下ろす風景は見慣れたものですが、調整池の周囲を巡る市の遊歩道から近景、遠景を重ねて見る風景も新鮮です。

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