心と体

2017年6月30日 (金)

身動きがとれない 

柱一本を掛けた橋。

何のはずみか、そこを進むはめに。
下は深い谷。
身がすくむ。
しかし、助けに来てくれる人はいない。
前に進むのが怖い。
しかし退くのはもっと怖い。
進まなければ谷底に吸い込まれるのを待つはめになるのか。
そんなとき、ただ、自力で進むしかない。
そこにいるのは自分だけだから。
あんなところへ入り込んでばかだねとか。
柱にしがみついてかっこわるいねとか。
そんなひとの目は何の悪さもしないし、何の役にも立たない。
もしそれが荷物になっているのなら、早々にすててしまえばよい。
ただ進むか、果たせず谷に吸い込まれるか。
結局はそのどちらしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年6月26日 (金)

なくて七癖・・・とは思う

テレビの市民インタヴュー、スポーツ選手のインタヴュー。

多分、新聞記事になるときには手を入れられてしまうのだろうけれど。
年寄りにはどうにも気になるこの表現。
「・・・とは思います・・・」
ウェブ上で調べてみると、7−8年前の記事にも、「これが気になる」と指摘しているものがある。
 少し考えてみた。
 女の子が、ボーイフレンドに弁当を用意した。
 昼休み、待ち構えて食べてもらう。
 「ねえ、どう?」
 「うん、おいしいとは思うよ」
 「その他には?」
 「言いづらいけど、少し子どもっぽくないか?蛸ちゃんソーセージなんて」
 「その他には?」
 「弁当を作ってくるなんて、僕の気を惹こうと思ったの?」
 「え、おいしい、って義理でいっただけなの?」
 今時、批判を恐れず、自分の言いたいことだけを言うという訳にはいかないのだろうか。
 批判を受けたとき、「実はそれは私が言いたかったことではないのです」と逃げ道を用意しているということなのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年9月 4日 (木)

学校と暮らしのリズム

フランスでは新学期が始まりました。

小学生が親に連れられて学校へ向かいます。
学校のリズムを調整しました。
月曜日 朝8時半から12時まで。午後2時から3時45分まで。
火曜日 同じ
水曜日 朝8時半から11時半まで。午後はなし。
木曜日 朝8時半から12時まで。午後2時から3時45分まで
金曜日 同じ
一週間あたり合計24時間は変わらないのですが。どこかで微調整がなされたようです。
水曜日の午後がお休みになるのは、理にかなっているように思います。
週の真ん中で、少し息が切れてくる。生活の調整も必要になる。
お互いに。
街の中心にある大きな書店では教育書の棚や平積みの顔ぶれがすっかり変わっています。
先生向けの指導書のようなものから、こども自身や親が使うドリルや教科書中心に。
高校生も大学生も、一斉に動き始めて、街はすっかり秋学期の様相です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月27日 (水)

自分の声を聞く

芝居の脚本の朗読会をしていたとき、参加者のひとりにか細い声ではなす女の人がいたという。何度も朗読会を続け、やり取りを続けるうちに、びっくりするほど強い声で読みあげることができるようになった。憎しみを顕わにした女の人のセリフの連なりを。

その女の人は自分自身の声に驚いていた。自分の声とその声に載せられた感情とに驚いていた。

そのことを女の人は深い柔らかい声で話した。

竹内敏晴さんがどこかに書いていた、忘れられない話。

こどもたちに向かって、どんな声で語りかけていますか。

その声を聞いていますか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

「広い砂浜でほんのひとかけらのさくら貝をひろったような」

もう40年も昔、「ヤマテイ」とかいう英文解釈の受験参考書があり、それが高等学校の英語のサブテキストだった。授業でとりあげられることはなく、ただ、範囲を決めて、定期的に試験があった。数行の英文を、それも、哲学や思想のジャンルから、小説の一節。難渋し、とんでもない読み方をした。

今ならば、ひとつひとつもとの本を調べ、その文脈の中に目の前の文章を埋め込んで理解するだろう。しかし、当時はほかにやりたいことがあり、そんなことは思いつかなかった。どうせ人生は暇つぶしとうそぶきながら、本当はそんな風には思っていなかったのである。

さて、タイトルに掲げたのはそのなかにあった一つとして記憶されているもの。なにしろ40年も昔のことで、うろ覚えである。

ニュートンが「万有引力」の発見を賞賛されて、応えたことばということになっていた。出典も明らかではない。

人が発見する真理とかいうものはほんのかけらに過ぎない。

そこに広大な砂浜があり、その向こうに闇の大海がある。

このイメージはなぜか、その頃の気分と響きあい、その後の自分自身をおおきく支配した。

「かけら」だけを拾おうとすること、その向こうの大海を思わぬこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

好き でも 嫌い

アンビバレント ambivalent

am は否定

bi は二つ

valent 価値的な

好き。でも 嫌い。 これがアンビバレントな関係。本当は両方ある。

仲の悪い二つの気持ちが同居する。

子どものころあっただろう。いじめっ子。女の子に悪態をつく男の子。

好きな子に限って意地悪をする。

これだけ言えば思い当たることがあるだろう。

どうこの気持ちと付き合ったらよいか分からない。

どう表現したらよいかわからない。

女の子のグループ。

仲間への「好き」という気持ちと「嫌い」という気持ち。

それを「嫌い」を抑えて「好き」だけ表そうとする。

何か「外に出すもの」を激しく「嫌い」ということで。

恋人同士。

相手への「好き」という気持ちと「嫌い」という気持ち。

「嫌い」という気持ちへの疑念。

それを確かめたくて「嫌い」をぶつける。

無理を言う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月21日 (水)

カイロの日和

寒くなりました。

襟巻きも欲しい。

上着もツィードに。

身体全体重ね着。

それでも足りずに日曜日にボランティアの仕事を一緒にした友人は鞄から使い捨てカイロを取り出していました。

昨日の夕刊に、カイロによる低温やけどの警告記事がありました。

60度で1分、50度で3分。

これだけの時間圧着するだけで深刻な事態になることもある。

カイロ工業会のサイトにあるそうです。

引用の引用。つまり孫引き。

胸の痛みを感じて調べなおしました。

でも、新聞に敬意を表して痕跡を残します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)