日記・コラム・つぶやき

2012年6月11日 (月)

希望の論理

詫びる必要はないのです。

人は思ったように生きたらよいのです。

願ったような道を選んだらよいのです。

自分自身が選んだこと、望んだことがどのような事柄の筋道の中にあったのかは、生きていく中で自分自身が引き受け、知ることになるのです。

こまったことに、人はしばしば、自分が何を選んでいるのかに気づかないのですが。

希望は剛直な論理の中にあるのです。

選んだものを人は受け取るけれど、また其の論理的帰結をもいやおうなく引き受けなければならない。

そこから逃げようとさえしなければ、どのような希望であれ、どのような結果であれそれはあなたを強くする。

簡単なことです。

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プロフはお疲れ

久しぶりに東京での会議があり、出席した。

会議が重なり、週末がつぶれるようなことが続くと翌週に疲れが残る。

先々週の週末は仕事ではないが半日つづく会合があり、先週は職場の行事、そして今週の遠隔地での会議。移動を含めるとやはり一日仕事である。そのほか3回の補講。2回の研究会。週半ばの会合。これらが通常の義務に加わった。後半担当の講義もいよいよバトンタッチして始まった。

金曜日午後、保育園・幼稚園での保育指導計画について講師の先生に指導していただきながら不覚にも意識を失った。すぐ前で、学生が携帯電話をならし、いたずらし笑っている。いや、ごめん。

東京での会議、大プロフがひどくお疲れの様子である。おそらくは、毎週のように会議で関西から通ってくるのであろう。役目柄。様々な役割が一人格に重なるのである。

出席者の面々が職場での人員削減や事務の外注化に伴うストレスについて語る。皆様、お疲れ。しかし動き始めた船は沈めるわけにはいかぬ。

今のわれわれより5年ほど若く、急逝したプロフ。そのことを思い出す。すでに40年近くも過去のことである。かの恩師も、編集会議やその他の会議で毎週のように中京と東京を往来していた。当時、その負荷は、遠い世界のことであった。

楽ではないのは皆、当初から承知の上であるとはいえ。

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2008年2月11日 (月)

後期の終わり

 しばらく、何も書くことができないままであった。

 この時期もあたふたと忙しい。

 週の半ばを積み上げた仕事を片っ端からこなし、残った卒業研究の評価票を持って帰る。明日は朝早く出かけなければという午後になってようやく、17枚の評価票をまとめる。今年の指導生は10名。それに副査というのが7名。それぞれが、それぞれにテーマに取り組む。

 出発点はメディアで流れている「虐待の連鎖」であるとか「テレビゲーム有害論」であるとか、「家庭教育の重要性」などであることが多い。大人は冷ややかに「それで?」と聞くが、純朴な彼女たち、彼らは、メディアで流される言説に間違いのあるはずがないと思っているかのようである。

 研究の独自性を要求されると認識する彼女たち、彼らは、壮大な言説の上にさらに壮大な建築物を構成しようとする。それを砂上の楼閣という。

 誇大妄想狂と冷や水を浴びせる当方を前に、ふくれっつらをし、涙を流した末、手堅く自分の基地を見つける学生も、懲りずにより壮大な幻想を作り上げる学生も居る。

 なぜか、後者の場合、当方から見ると実は面倒なことを避けている、逃げていると振り返ってみて思えるのである。

 しかし、これらのことは、わが身へ向けられた自戒でもある。

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2008年1月31日 (木)

試験の季節の試験攻略法

 香山リカさんが、「なぜ日本人は劣化したか」という本の中で、大学で教えていて、「試験」をし、評価をすることの難しさについて書いている。不合格になると立ち直れないほど落ち込んでしまう学生がよくいるのだそうだ。簡単には不可にできないという。たとえばそれが元で本人が自殺してしまった場合、原因を作ったものの責任を問われる可能性がある。そんなことまで想定しておられるようだ。そして、また、医師として、考えられない医事訴訟の勃発もあるという。それに備えて個人で保険に入っているとも。

 教室で学生の質問を受けていてとまどうのは「試験形態」への質問とその内容である。人名とかテクニカルタームは出るのか、記述式で考えを書けばよいのか。どうやら前者の場合には機械的に記憶をするような準備をする、後者の場合には日常感覚で生活感想文を書く、というような二分法がなされているようなのである。

 でも、考えるということには、先人の考え方を追体験してみるという過程も含まれるべきでしょう? そう問い返すが、なかなか納得してもらえない。若い人々と話しながら、彼らの高等学校までの学習の過程を思い描く。

 なんだか、若い人に智恵を提供するつもりが、見当はずれになってしまった。

 しかし、ともあれ、少し違った攻略法を考えてもよいのではありませんか?このあたりで。

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2007年11月29日 (木)

朝の時間

女性専用車両というのがあります。でも、このごろは、男性専用車両も必要ではないかと思います。周囲の人の身体に鞄がぶつかってしまい、ふと振り返られることがあります。相手が女性で、自分が男性であったら、少しまずいことになるかもしれない。何倍も気を使う男の人がいるとしたら、少し気の毒かもしれません。

さて、今朝、地下鉄に乗って移動中、座席に座っている人が折りたたみの化粧鏡を開き、丹念にマスカラを塗っていました。次にアイシャドウ、そしてアイライン。次々と化粧道具が大きく開いた鞄の口から出てきます。頬紅と刷毛をとりだして丹念に頬からあごまで置いた後、最後に大きな粉白粉。はたはたとこれもおおきなパフでたんねんに粉を置き、それを払って、鏡で点検。

そのうちに、前に立っていた人も鏡をとりだし、アイシャドウをとりだし。

美容にかける時間を削って暮らしている身だしなみの整わないわが身を振り返り、召使が身支度を手伝い、家事を仕切ってくれる時代がどこかにあり、今はないことを考える。朝、とるものもとりあえず、飛び出してきて、それでも身だしなみを整えるのは見上げたことといわなければならないのでしょうか。

朝の女性車両は化粧室車両。

しかし、化粧室とはそもそも、厠の美称ではないか。

この連合関係がその車両にいる人間を戸惑わせる。

とまあ、カッコウをつけて書いてみましたが、要はトイレでするようなことをしている姿に朝の公営交通の同乗者として出会うと、とても気まずい思いがするということでした。

ちなみに、別の路線に乗り換えますと、そこでは、「車内での飲食およびお化粧はお控え下さい」と車内放送が入っていました。

朝からごめんなさい。

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2007年11月28日 (水)

朝の掃除は3990円の得

このところ少々ねじが狂っています。

時代変わって、「早起きは三文の得」などという言い回しに反応してくれる人などいないかもしれません。「待ては海路の日よりあり」をカイロの日和から思いついてくださる方も。それにしてもこの国の先人の、なんと現実主義的で、しかも楽天的なこと。

何週間も前から、「おばあちゃんの家」というDVDを探していました。半年ほど前に購入して何度か見たものです。もう一度見なおす必要がある、と置いたはずの場所を探ってみるが見当たらない。どこかに置き忘れたのだろうかと半ば諦めていました。

今朝、久しぶりに大きな机の上や周りにある本を整理した。読み止しでもしばらく中断するものは後ろの棚に立て、仕事場に持っていくものをよりわけ、・・・・出てきたのです。本の間に挟まって。

税込み3990円。しかし、これを入手するときにもあちこち探し回ったのです。交通費、費やした時間。また捜すとすれば(ネット購買の方法もないわけではありませんが)どれだけの労力がかかるかと考えると、・・・するものですね、時々は片付け。

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